「論理療法」アルバート・エリスを読んでみた4

 本日は10月24日、素晴らしい秋晴れ。道場は暑いくらいでした、昔、10月の下旬はこんなに暑かったかな、最近の日本は雨の降り方といい東南アジアを彷彿とさせる。アルバート・エリスの「論理療法」振り返り、第8章の理性と合理性後半。
 マーローは論理的思考を身につけハッピーな人生を歩き始めた。さて、次に相矛盾する2つの目標について考える。それは、自己実現と社会的協調性のことである。アルバート・エリス(1981)は7〜8人の仲間との雑談を例に挙げている。様々に意見が飛び交うなか、「自己をとるか周囲との協調を選ぶかという苦境におかれる」(p96)両方を成立させることが出来るのだろうか。アルバート・エリスは「この相剋はほとんど解決の展望さえみえないのである。」と述べている。もし、関係ありませんよ。合理性を追求して私は自己実現に邁進するのですと社会的協調性を無視することは正しく、自分の目標を達成するだろうか。それはないだろう、関係性を失い1人何でもできることはない、その延長線上には自らの損失がありそうだ。「したがって、自分自身の利益という概念のうちに、一定程度は他人の利益への配慮をも含むほうが望ましいということになるだろう。」(p99)つまり、合理的な判断は出来ないということか、試行錯誤、ケースバイケースか。アルバート・エリスは「極度の合理性、あるいは強迫観念的につきまとう合理性は、実は非論理的なのである。なぜなら本当の論理性とは、人間の幸福を助け増進するものだからである。」(p100)と論じた。なるほど、これが論理性のひとつの定義なら物事を測る物差しは人間の幸福に寄与するか否かだろう。
 私たちは論理的に思考することで、幸福を手に入れるわけだが。それは万人の幸福という命題から線を引かなければならないのである。

ShonanManabiya

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