「論理療法」アルバート・エリスを読んでみた2

 今日は夏が戻ってきたような陽気だった、剣道の稽古では、暑中稽古が思い出されるくらい大量の汗をかいた。イイ汗を流した後、「論理療法」をパラパラと捲っていたら、第7章「過去の影響からの離脱」に目がとまったので振り返ってみた。
 ここでは、エディプス・コンプレックスを例に挙げて解説している。例えば幼児的被害者はちょっとした相手のリアクションに感情を乱高下させる理論的ではない、幼児的な思考→感情のことを言っている。この章の最後のページでアルバート・エリス(1981)は以下のように論じている。

「成人するにしたがって重要な機会に出会うのである。(中略)長ずるにしたがって、他人の評判や外交辞令はむしろ苦痛である(不利益をもたらす)ことを学ぶだけでなく、また逆に、他人の評価によって自分が傷つけられる(自己をおとしめる)ものでもないことを学んでいくからである。そして自分でどういう考え方をとるか選択することができるのである。評判を単に苦痛と受けとめるか、それによって傷ついてしまうか。もしも本書に従えば、この選択はほとんど確実に首尾よくなされることであろう。」(p84)


 つまり、何かの出来事に対して私たちは「選択する」ことが可能だ。その出来事に自ら自分を落としめて落胆させる、あるいは苦痛ではあるがその出来事を利用してジャンプするかは、その出来事がそうするのでなない。自らの思考が選択しているのである。すなわち、感情はある出来事によるのではなく、自らの思考によって決定されるのだ。アルバート・エリス(1981)は最後に以下のように結んでいる。


「なすべきことは、心を悩ませる原因となっている非現実的な観念を暴露していくことにある。つまり、これらの観念の背後にあってその形成を助けてきた誤った情報や不合理を明確にみつめること、また正確な情報とより明快な思考によって、不安のあとに控えてそれを増幅しつづけている観念をすっかり変えること、これである。」(p84)


 論理的で正しい思考が、より安定した感情を導く。そして、主観的幸福感を高めるだろうことに疑いはなさそうだ。この本は奥が深く、まだまだ本質を言い表すことができない。また、あらためて書いてみたい。



ShonanManabiya

Since2005 「湘南学び舎」鎌倉を世界で一番読書の盛んな街にする /Yasutoshi. Furuhashi

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